1ヶ月半も記事を書くことをサボっていたら、メッセージに気づかずにいた。
“本当にすみません。”
同じように逮捕され、今から起訴されようとしている方からもメッセージをもらっていた。
僕は確かに、誰かに記事を読んでもらうために書き続けていたはずだ。でも、誰かに無理やり読ませようと思ったことはない。なので、このNotionも検索ができないようにしている。日本国内の人々に読んでもらう価値を見出せないからだ。それは、賭博に関する倫理観、危機意識、マネロンへの感度、どれをとっても日本人は鈍感だからだ。醸成していない土壌にタネを撒くほどの胆力は僕にはない。
読まれなくても書き続けるみたいなムダにキザだったり打算的だったり。やはり、実際にメッセージをもらい、読まれていて嬉しいということに気づく。
そして、読んでくれる方のことを想像すると文章を打つ手も踊り始める。大変ありがたいことだ。
さて、言葉は時に魔法なのかと思うことがある。
ほんの小さなつぶやきですら、魔法がかかりドライブし広がっていく。
僕のような小市民でも、独善的な一言でも誰かが拾って読んでくれる。
僕はこの言葉を毎日紡いでいくことを何度か宣言して挫折してしまっている。特に今回は1ヶ月半という休みを挟むことになってしまった。誰が読むかわからない記事を黙々と書き続けるのはとても苦しい。
これを闇雲というのだろう。
が、どうやら小さな魔法がかかっていたようだ。反響があったことに気づいていなかった。
僕は、同じような目に遭っている逮捕者の方々のためにも、捜査を続けている警察の職員に対しても、検察や裁判官のような職務に誇り高い方々に対してもフェアな表現ができるように心がけて書いてみたいと思う。
少しだけ、言い訳をさせてもらうとシャバに出てきて復帰するのにとても苦労しているか。それは別の記事でも語っているので求めている方には是非読んで欲しい。
「文を書き続ける理由」があるとすれば、たくさんあるその候補が収斂され、たった一つの理由に辿り着く。
それは、愛息のためだ。息子が大きくなり父の過去を知った時に、この出来事を正確に知って欲しい。僕の身に何が起こり何を考えてどう行動したのかを。
やはり、ただの不甲斐ない父で終わりたくないという思いもある。
事件を知った息子が数年後、数十年後、非難するかもしれない。
何があったかを知ってこの父を教訓に乗り越えて欲しい。
ああ、この日、Notion AIに課金したというのにこの記事のためにその力を借りることはなかったなぁ。普段から文を書くことの喜びがある人には必要ないのだろう。