西 愛礼氏は元裁判官の弁護士で、冤罪の実態を様々なメディアに紹介しつつ司法の問題、刑事裁判の問題を訴えかけている貴重な存在である。まだ若いが、とてもキレ者で簡潔な文章で訴求力のあるメッセージを毎日「X」などで発信している。

以下、NEWS PICKSの引用から。

今回は、私が弁護団の一員として弁護したプレサンス元社長冤罪事件を紹介します。

この事件は東証一部上場企業(当時)の創業社長である山岸忍さんが、大阪地検特捜部により業務上横領罪の共犯として逮捕・起訴されたというものです。

しかし、山岸さんは業務上横領を実際に行った学校法人の理事長と会ったこともなく、無実を示す客観的証拠が複数存在していました。

それなのになぜ山岸さんが逮捕されたのかというと、大阪地検特捜部は山岸さんの部下と取引先社長を取調べで威迫し、その見立てに沿う供述を押し付けていたのです。

刑事裁判で弁護団は山岸さんの無実と検察官による取調べの問題を立証し、無罪判決が宣告されて控訴されずに確定しました。

私達はその刑事事件の冒頭陳述において、この事件を次のとおり形容しました。

「本件は、大阪地検特捜部によって作られた冤罪事件である」

僕(筆者)はこの国が社会主義国であるのではないかという疑いが日に日に増している。国民のあらゆる活動は権力に監視され管理されなければならず、たまに権力のために誰かが生贄にならなければならないのである。その生贄が今回の山岸氏であり、彼は大手企業のトップの座を明け渡す事になってしまった。人生を検察に狂わされてしまったのである。

大阪地検特捜部はこの20年でいくつかの冤罪や不当捜査を行ってきた、最も強力な権力を有する落ちぶれた名門である。

村木事件では前田検事によるフロッピー罪証隠滅などが発覚した冤罪事件、三井環事件では検事が検事の口封じをするという前代未聞の疑獄。

捜査機関が罪証隠滅を行なってきたという事実がはっきりしているのにも関わらず、検察は権力を濫用しメディアをも操りこれらの事件を事件をなき物にする事も容易にできるのである。いや、ここ最近のWebの発達に大手メディアのコントロールでは世論を間接的にコントロール下に収めることが難しくなっているのかもしれない。あるいは、露骨な権力の濫用が行き過ぎ、失態が目立つようになったというのが正しいかもしれない。

プレサンス事件において、山岸氏は無罪確定している。それにも関わらず往生際の悪い主任検事は法廷で真実を話そうとはしない。僕も経験しているのだが、彼らの大きな仕事の一つは被疑者に自白させる事である。そんな彼らも自分にその役が回ってくると自白することはないようである。

無罪確定の山岸さん「なぜ法廷で本当のこと話さない」

4人の検事の証人尋問を終えて山岸さんは会見を行い「聞きたいことを検事に聞くことができたのですっきりしているが、検事は取り調べで『本当のことを話せ』と言うのに、なぜ自身は法廷で本当のことを話さないのか。潔い態度で尋問に臨んでほしかった」と話していました。

山岸さんの代理人 弁護士「主任検事は責任逃れ」

山岸さんの代理人の中村和洋 弁護士は「主任検事は、責任逃れをしていて非常に問題だと感じた。主任検事が取り調べの状況を上司に正確に報告していたら山岸さんは逮捕されたのか、極めて疑問に思う。もし組織全体で共有したうえで逮捕に至ったとなれば、組織が大きな誤りを犯したということが今回の尋問で明らかになった」と話していました。

(参考)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240618/k10014484871000.html

権力側は権力に居座っている間は被告の立場を理解する必要がないと考えているようだ。相手は最初から犯人であり(有罪推定)、警察や取調べの仲間の検事が言う通りのシナリオに沿わない場合は更なる更なる自由刑を与えることにより自白を促すことは正義の一つであると考えているようだ。

僕自身の実体験に基づいて、これは間違いなく存在する検察の文化だと信じている。僕自身も取調べを受けた際、エリートからの一方的な圧力を感じた。

何が正しいかを決めるのは法廷しかないとその時は悟ったのだが、司法制度にも問題があると指摘されているのが昨今である。刑事事件の審理過程の問題なのか、司法の運営なのか、そのどちらともなのか。

日本国民はいついかなる時に権力の餌食になるかわからない。権力中枢の出世争いのネタとして逮捕されたり監禁されたり会社を追われたり、社会活動を停止させられたりすることが突如としてやってくると思って欲しい。またそれは、宝くじの当選確率よりも高いのかもしれない。

僕のサマージャンボは外れたが、去年逮捕され7ヶ月半の拘留があったことから考えると、あり得る話である。